Website Toppageフォト短歌 1日1首を基本にフォト短歌を作成しブログに投稿してますが、その中の特に気に入った作品を月毎に纏めています

フォト詩歌 フォト詩歌は詩情がそそられた時に、詩を書き、それに短歌を添えたものを写真に収め加工したものです

ユーチューブ動画 フォト短歌やフォト詩歌を中心に、時折り動画を交えながら、それにBGMを添えたものをYouTubeに公開しています

自己紹介 当ホームページの管理者であり、フォト短歌作者の自己紹介、短歌や写真に対する思いや趣味なども掲載しています

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フォト短歌2022年12月分
以下のフォト短歌以外はブログにて
令和4年度年末雑感「認める心」 今年も色々あった一年である。
世界を見れば、世界の食料庫と云っても過言ではないウクライナの、不発弾が栄養豊富な黒土地帯の大地を穿ち、歴史的な転換期とも云える超大国ロシア軍の侵攻により、多くのウクライナ国民の命を奪い、甚大な損害を与えている。
理由はどうあれ、武力侵攻、侵略戦争は許し難い蛮行である。 続きを読む>>
札幌味噌ラーメン「思い出の味」 一昨日も、日曜日恒例の「ポツンと一軒家」を観賞しながら手作りラーメン(インスタント)を堪能することが出来た。
今回のポツンと一軒家は年末特集として3時間番組。島根県の一軒家2箇所が紹介された。小鳥囀る山間の長閑な空間で、各家々にはしっかりとした生活の営みがあり、しっかりとした人の温もりがある。 続きを読む>>
イラク人質開放事件の映画化を「アントニオ猪木イズム」 先日、TBSの年末特集で「報道の日2022」と云う番組があった。
私はいつも、日曜日の夜は週に一度の手作りラーメンをすすりながら、「ポツンと一軒家」を観るのが私のルーティーンなのだが、テレビのスイッチを入れたところ生憎他の番組が流れていた。仕方なく裏番組を覗いてみると、冒頭の報道番組が流れていた。
途中からなので全体を知るよしもないが、アントニオ猪木さん 続きを読む>>
高架橋柱1140本沈下の恐れ 私は毎朝毎晩、鉄筋コンクリートで重厚感のある新幹線の高架橋をくぐりながら通勤するが、当たり前の風景としてとても身近に感じている。その身近な高架橋以外に、とても印象深かったのが台湾の高架橋である。
今から5年程前、当時息子の留学先だった台湾の新竹市に、台北市から高速バスでの移動の時だった。台北を出てからまもなく、 続きを読む>>
就寝前のルーティーン「夜間頻尿、めまい対策」 寒くなり始めた11月中旬頃から、昨年まではなかったが、就寝中に2・3度トイレに行きたくなるようになった。
所謂、夜間頻尿である。
「俺も歳だな・・・」と納得はするものの、度々目が覚めるとなると睡眠不足になる。
はてさて、どうしたものか。真っ先に思い浮かぶのが頻尿用 続きを読む>>
責任と節度ある積極財政「聖帝の世」 聖帝とは、儒教で聖人とされる君主のことを云うそうだが、今から1700年程前、民衆は貧困に喘ぎ、満足な食事を取ることも出来ずにいたとのこと。
その為、家々の煙突から煙が立ち昇っていない様子に、当時の帝、仁徳天皇がそれ以後3年間、課税と労役を全て取り止めることにしたのだそうだ。
更に自ら、お宮の屋根が壊れ、雨漏りしても直すこと 続きを読む>>
磐井清水若水送りと道路の有り難さ 岩手県南に、元旦恒例の「磐井清水若水送り」と云う行事がある。
一関市東山町松川から、平泉の中尊寺迄約20kmの道のりを徒歩で湧き水を運ぶ行事である。今から800年あまり前の平安後期、奥州平泉を拠点に100年の安寧を目指し、栄華を誇った藤原4代の3代目当主、北方の王者藤原秀衡公の命によって始まったとされている。故事によると、松川の里人によって運ばれる若水は 続きを読む>>
年賀状の歴史と東山軒のどら焼き 先日、地元紙のコラム「日日草」に年賀状の歴史が載っていた。
それによると、平安時代、藤原明衡が纏めた手紙の文例集の中に「春の初めの御悦び、貴方に向かってまず祝い申し候」とあり、それが最古の年賀状の一例だとのことである。後に親族らに挨拶する年始回りが定着し、簡略化したのが年賀状のルーツらしい。
前々回の日記にも書いたが、毎年、この時期になると 続きを読む>>
万死に値する「刻薄蛮行」

先日届いた日本歌人クラブアンソロジー『現代万葉集』に目を通してみると、「社会・時事」の項目のなかで気になる一首が目に止まった。
「凍死せる少女死に様で訴える醜い人心雪しんしんと」
北海道の石川孝子さんの一首だが、昨年の3月、凍死の状態で発見された当時中学2年生の女子生徒のことを詠んだ歌であろう。 続きを読む>>

猫間が淵の語源や柳之御所史跡公園のこと 猫間が淵とは、今は水田などに埋め立てられてその面影はないが、今から900年程前の平安後期、藤原清衡公から藤原泰衡公迄の4代の居所があった場所と、当時の政庁があった柳之御所を隔てた大きなナマズのように横たわっていた水路、と古地図に載っていたそうだ。
「猫間が淵」の語源は、猫間扇に似た石が中島にあり、 続きを読む>>
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